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ラボコラム

研究者になる(朝長啓造 教授)

獣医師を目指して大学に入った時はまだ、将来についてはよく考えていなかった。獣医が就く職については漠然と知っていたものの、大学に残って研究を続ける未来は予想していなかったと思う。卒業後は、ずっとウイルスの研究を続けていて、気がつけば研究者としてゴールの方が近い年齢になってきた。

ウイルスの研究に足を踏み入れたのには、特に強いモチベーションがあったわけではない。獣医学科に入ったけれど臨床獣医としての能力がないことは早々に気づいていた。どうしても直検がわからないし、対象にする動物の種類も多すぎる!そこで、ひとりで顕微鏡の世界を堪能できる病理学を専攻した。子供の頃から活発に話をするほうではなく、ひとりボーっと何かを観察したり考えたりするのが好きだったので、病理学は適正であった可能性はある。その中で出会ったのが、卒論のテーマとして選んだ原虫の病理学的解析。びっくりするような寄生虫の奇妙な生活環から感染症に興味がわいた。一方、当時は「死の病」と言われたエイズが社会問題となっていて、原虫とは異なるシンプルな感染マシーンとしてのウイルスにとてつもない面白さを感じた。

その後、ウイルス学を学ぶために博士課程への進学を決めた。途中寄り道もあったが、進学した見上研究室では出会った先輩後輩らの研究っぷりに圧倒され、また彼らの発想の斬新さにも感動し、新たな視点を自分たちで見つけていく面白さを学んだのである。研究しかしてなかったので、あまり深く考えずに学振をとって留学するという道を選んだけど、それは時代だったのか、世間を知らなかったのか。いずれにしても研究者になると確信したのは大学院時代である。

留学で学んだ多くことはまた次の機会として、帰国後にボルナウイルスの研究を始めた。当時、ボルナウイルスは病気との関係だけではなく、本当に人に感染しているのかさえも疑われるレベルのウイルスで、巷では「あやしいウイルス」と呼ばれ研究者人口は少なかった(今でも少ない…)。最初に赴任した大学のある大学院生から「もう何も研究することはないです」と言われたのは鮮明に憶えている。「アホか」と思ったが、確かにワクチンや治療薬開発などの必要性はなく、社会的に解決すべき課題はなかった(つまり研究費もあまり出なかった)。一方で、ウイルス学的にはブルーオーシャンであり、未開拓のフィールドで独自のサイエンスをじっくり進めることができる魅力を感じた。

気が付けば、それからはや25年も経ってしまったが、ボルナウイルスの研究に終わりはまだ見えていない。まあ、科学の進歩に終わりはないので、自ら追究する限り当然終わりはないことになるけど。サイエンスとは、与えられた課題を解決するだけではなく、自ら課題を発掘し解明すること、そしてそれを積み上げることで知の進化を生み出すことだと考えている。

最後に、実はせっかく獣医師免許を持っているので獣医師的なことをしたいのも事実です。獣医の皆さん、よろしくお願いします(最近、日本獣医学会に入会し直しました)。